妻が「さよなら」も言わずに逝った

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12月21日に昭和大学病院に入院した妻の知子の容態が急変し、27日の午後3時すぎ、別れの言葉も言わずに逝ってしまった。

診断の病名は慢性呼吸不全、CO2貯留。そこに至る元の病気は、気管支拡張症、気胸、間質性肺炎と、医師の説明を受けて納得した。

今日の午前中、品川のNPO法人・葬儀支援ネットワークの施設で無宗教の送る会を行い、近くの桐ヶ谷斎場で火葬した。まだ、十分な恩返しもしていないのにーと思うと、いとしくて涙が止まらない。年齢を重ねるにしたがい涙腺が緩みがちになり、あいさつなどは全て長男に任せる体たらく。苦痛から開放されて安らかになった妻の顔を撫でながら、声にならない声で別れを告げた。今、自宅で独りになると、改めて込み上げてくるものがある。経験したことのない深い悲しみに打ちひしがれているが、でも、大丈夫だ。知子の分も含めて長生きするぞ、と何回も自分に言い聞かせている。
ご心配いただきながら、妻の強い意志で、必ずしも正確な病名を告げずに失礼した方々もいる。その方々に報告しなければと思い立ち、気を取り直して書いている。早く立ち直りたいと念じながらー。

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Comments(3)

谷口總一郎 :

 今朝。先生のブログを見て、奥様の奥様の訃報に接し、驚いています。
 ふくお先生の記事が最近はちょっと途絶えがちでしたので心配していました。先生が懸命に看病しておられたのはそんなことからも推察されます。先生の落胆されている心情はいかばかりかと深く思いを致しているところです。

 奥様の訃報に際し、お悔やみ申し上げます。

 「妻あればこその改革への戦い」。私の今の市議会での戦いも妻が支えてくれていますが、先生の戦いは私の何倍もの長く苦しい戦いだったことでしょう。それを家庭で支えていたのが奥様の知子さんだったことは強く理解されます。「あんたが正しい」、「あなたの思うようにやればいいのよ」。そう励まして下さっていたことでしょう。

 「妻あればこそ、今の自分がある」。そう思っていれば、よけいに奥様の死は悲しくてつらいものでしょう。

 遠くにいる私などお世話になりながら、先生のために何もして差し上げることはできませんでしたが、これからはご自愛くださって、気丈夫に生きてください。弱気な先生なんか見たくありませんのでね。

 ふくお先生は『たった一人の革命』を起こした男です。気強くいて、これからも全国にいる私たち議会改革を目指す議員の師匠としてご教示いただきたい。お願いしましたよ!

羽場頼三郎 :

先程思い切ってお電話を差し上げましたが、あらためてお悔やみ申し上げます。武蔵村山時代からお世話になりました。いつも奥様のやさしい笑顔に迎えられて、ついつい長居をしてはご迷惑をお掛けしました。品川のご自宅にもたびたびお邪魔して、暖かく迎えてくださいました。その笑顔は今もわたしの脳裏に焼きついています。お体の調子がお悪いとはお聞きしていましたが、まさかの思いで訃報を受け取りました。心からご冥福をお祈りします。

羽場頼三郎 :

先程思い切ってお電話を差し上げましたが、冨久尾さんの声は落ち着いておられ、少し安心しました。でも、痛いような気持ちも伝わってきて、心を残しながら電話を切りました。あらためてお悔やみ申し上げます。武蔵村山時代からお世話になりました。いつも奥様のやさしい笑顔に迎えられて、ついつい長居をしてはご迷惑をお掛けしました。品川のご自宅にもたびたびお邪魔して、暖かく迎えてくださいました。その笑顔は今もわたしの脳裏に焼きついています。お体の調子がお悪いとはお聞きしていましたが、まさかの思いで訃報を受け取りました。心からご冥福をお祈りします。

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